度か水をくぐったらしい萎びかたをしていたが、その粗末なみなりがしっくり身体につくほど、彼女は肥って世帯じみていた。あれから名古屋に帰って、暫く小さな店を出してみたが、思わしくないので、今では姉の家に厄介になってるとか、ちょっと用があって東京に出て来たので、どうなすってるかと思って、お訪ねしてみたのだとか、そんなことを彼女は微笑みながら云うのだった。その微笑みから、またその様子から、七八年前の彼女が淡く浮んできた。神田の裏通りの小さなバーにいて、その頃半年ばかりの間、月に二三回、私は彼女を外に連れ出したことがあった。公然とそういうことが出来るバーだったし、彼女も公然と振舞っていたし、他に幾人も男の客があることも分っていたし、凡てが明るい取引だったので、私は却って気が安らかだった。彼女が名古屋に帰りたがってるのを知って、百円ばかりの金を助けてやった私には、何等の私心もなかった。あの時お世話になったきりで……などと彼女は云って、煙草の煙の間から微笑みかけたり、まだ独身《おひとり》ですかなどと、まじめくさった聞き方をしたりした。そうして対座していると、次第に、彼女のとがった口付に愛嬌が出て来、
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