卓子が一つ、掛軸と額、どちらも大抵名士の書だ。そして鹿の角だとか水牛の角だとか、そんなものが一つ、ぽつりと柱にかかっている。それだけで、他に何にもない。花は固より、花瓶さえない。余分な調度は一つもない。机の上に硯箱があり、机か卓子かの抽出に印刷した紙がはいっている。極端に簡素な室だ。そしてこの簡素さは、ただ事務という一事に集中される。こういう金貸の室に、芸者たちの情交は類似しているんだ。それはただ簡素な事務に過ぎない。金貸の室に、どこに人間味が見出されるか。芸者たちの情交に、どこに真心が見出されるか。僕はそれを長い間疑ってきた……。」
右の言のうち、芸者たちという複数の言葉を単数に置換えると、村尾と千代次のことになるらしい。そして村尾は、恐らく金貸の室に人間味は見出さなかったろうが、千代次のうちに真心を見出した、或は見出したと思った。而もそれは千代次の死――過失の死には違いなかったが、その死によって見出したのである。彼の悲壮な決心がどういうものであったかは、大凡想像がつく。
なお続けて彼の手記を辿ってみよう。
私の生活は偶然事に左右されることが多かった。これは偶然を必然にまで統
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