に死んでもいいというふうな、さりげない態度を装いながら、影では、彼女に夢中になって、夜遅くその辺を彷徨して彼女の動静を探ったりした。彼女は誰かにつけ狙われてるような不気味な恐怖を覚え初めたが、或る夜、村尾と気まずい別れ方をして、ほかのお座敷で酔っ払って帰ってくると、自分をつけ狙ってるのが実は村尾であることを見て取り、なお二階から覗いてその姿を物色しているうち、村尾の本当の心情がひしと身にこたえ、のりだして彼の名を呼んでるうちに、酔ってるせいもあって、二階の窓枠が折れて、下へ落ちて死んだ。だがこの話は、本物語と大した関係はないから省略するとして、ただ、村尾はこのことのために悲壮な決心をしたことは事実で、また彼の生活が甚しい窮迫に当面していたことも事実である。
 それからなお、注意に価すると思われる一事をつけ加えておくが、村尾は千代次とのことに関連して、さあらぬ体で、一般に芸者たちの情交について面白いことを云ったことがある。――「そのことについては、僕の頭には、いつも不思議な連想が浮ぶ。金貸の室を思い出すのだ。金貸の室ほどさっぱりしてるものはない。座布団が一二枚、机が一つ、時とすると片隅に卓子が一つ、掛軸と額、どちらも大抵名士の書だ。そして鹿の角だとか水牛の角だとか、そんなものが一つ、ぽつりと柱にかかっている。それだけで、他に何にもない。花は固より、花瓶さえない。余分な調度は一つもない。机の上に硯箱があり、机か卓子かの抽出に印刷した紙がはいっている。極端に簡素な室だ。そしてこの簡素さは、ただ事務という一事に集中される。こういう金貸の室に、芸者たちの情交は類似しているんだ。それはただ簡素な事務に過ぎない。金貸の室に、どこに人間味が見出されるか。芸者たちの情交に、どこに真心が見出されるか。僕はそれを長い間疑ってきた……。」
 右の言のうち、芸者たちという複数の言葉を単数に置換えると、村尾と千代次のことになるらしい。そして村尾は、恐らく金貸の室に人間味は見出さなかったろうが、千代次のうちに真心を見出した、或は見出したと思った。而もそれは千代次の死――過失の死には違いなかったが、その死によって見出したのである。彼の悲壮な決心がどういうものであったかは、大凡想像がつく。
 なお続けて彼の手記を辿ってみよう。

 私の生活は偶然事に左右されることが多かった。これは偶然を必然にまで統
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