様子を、じっと見ていた。反感はないが、冷い眼付だった。古ぼけた紺の背広から、白い襯衣の襟をのぞかせて、毛襦子らしいネクタイを無雑作にむすんでるその様子が、以前よりも更に痩せている蒼白い顔にしっくり合って、若くなったようにも見える。そして黒のソフト帽だけだが、昔の通りだった。
「どうしたんだい、あれから……。」
その時、村尾は曖昧な微笑を浮べて、島村の手をとって握りしめた。力のこもったその握手が、以前の村尾と異ったものを島村に伝えた。
「あなたに……逢いたいと思っていたんですが。」
そして村尾はこんどは、何だか恥しそうな微笑をした。感情や言葉がどこか調子があっていないようだった……。
――ところで、これから先の二人の話を跡づける前に、以前の出来事を茲に物語るとしよう。そしてこの物語は可なり曖昧で複雑だから、村尾自身が島村に書き送った手記を骨子とし、筆者の註釈や補足を附して、出来る限り誤りなからんことを期したい。
……私はどうしても信子を愛することが出来なかった。なぜだか、いくら自分に尋ねても分らない。顔立も、教養も、私にとっては過ぎているくらいで、もし彼女と結婚するとしたら、幸福な家庭が営まれる筈だった。殊には、彼女の父と私の母とは従兄妹に当っていたし、家庭のこともよく分っていたので、私はどの女によりも彼女に最も信頼出来る筈だったし、彼女の家は富有で、私自身いろいろ世話になったこともあるので、結婚によって物質的な援助も得られるわけだった。それでも、私は彼女に対して何等の愛情も持つことが出来なかった。その原因としては、私にはつまり分ってることは、ただ一つあるきりだった。それは彼女の耳だ。
彼女の耳朶は、上部は普通だが、後部のなかほどが、欠けたように凹み縮れて、下部が醜く反り返っていた。ただそれだけであるが、それが私の眼には、彼女の体躯の不具的欠陥とも云えるほどに拡大されて映った。而もなおいけないことには、その不具的欠陥は何か内部的な例えば内臓にでも関係ありそうに思えるのだった。一体人間の肉体的欠陥には、単にそれだけとして止って、それが他の部分の健全な美を一層引立てるような、愛すべきものもある。然しそれが他の内臓的関係までありそうに思わせるものは、ひどく醜悪になる。私は信子の耳にそうした醜悪さを感じた。と云っても彼女は、健康な若々しい娘だった。ああ、彼女はどう
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