このレストーランにはいった。
「定食。……それから、日本酒を一本くれ給い。」
 うっとりと思いつめた気持のために、装わずして大人《おとな》の態度になっていた。
 片隅に三人の客があった。そちらに背を向けて、白い壁と睥めっこをした。花瓶の半開きの桃の花が、淋しげに淡々としていた。
 ゆっくり酒を飲むつもりだったが、料理の皿が次から次へ早く廻されてきた。
 気の利かないボーイだな。……何とか云ってやろうと思ったが、変に顔を見られる気がして云い出せなかった。それでも、料理はうまかった。チップを奮発してやった。
 一人で……あの家に行って、名差しをすれば、彼女は来てくれる筈だった。……そこへ、大きな地震でも来て、がらがらっとなって、二人だけ生き残って逃げ出す……。
 馬鹿な……。だが、何もかもひっくり返ってしまえ、濛々となってしまえ。
 日の光が恐れられた。……暗く、天地晦冥になってしまえ。
 胸が切なくしめつけられて、きりきり痛んだ。二重眼瞼の眼がちらちらして、目近に微笑んでいた。
 電車や自動車や自転車が、素張らしい勢で走っていたけれど、みな、宙を飛ぶようにふわふわしていた。着飾った女共が
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