した。それが却ってきっかけとなって、つかつかと茶の間へはいっていった。
「まあー、朝から出たっきり、どこへ行っていました。」
「井上君のところで遅くなって……。」
「そう、御飯は。」
「済みました。」
「やはり井上さんのお宅で……。それならいいけれど、こんどからは、御飯はどうするかちゃんと云っておかなければ困りますよ。あなたのために随分待ちましたよ。」
それっきりだった。……母は何にも感づいてはいないんだな。
だが……天井からぶら下ってる電燈、茶箪笥や長火鉢、父の読み捨ての夕刊、それを丹念に読んでる母……昔からその通りで、そしてこれからも永遠に……。畜生、何もかも……。
「お母さん、」
「え。」
夕刊から振向いた母の眼が、嘗て見識らぬ愚鈍な者の眼付だった。
「僕は今日、素敵なものを見たんです。自動車と荷車と衝突して……。」
「そして。」
「正面からぶつかったんです。すると……荷車を引いた男の眼玉が、ぽんぽんと二つ共とび出しちゃって……。」
「え、何ですって。」
「夕刊に出てませんか。」
「夕刊にですか。」
その隙に、煙草を一本袂から探って、すぱすぱやってみたが、気のせいか、頬辺
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