」
相手に何の反応もないので、彼は云い直した。
「僕は……君に逢いたいと思って……こないだから……。」
「何か僕に用ですか。」と相手は気後れのした声で云った。
恒夫はふいに、何というわけもなくかっとなった。
「だって……だって君は、僕と兄弟じゃないですか。君も僕のお父さんの子で、僕もやはりお父さんの子なんだから。え、君はまだ何にも知らないの。君のお母さんが僕のうちに来てたことがあって、お父さんとの間に君が出来たんだって……。そして君のお母さんは小野田という家に嫁入ったから、君は小野田と云うんだけれど、本当のお父さんは僕と同じお父さんで、川村というんだよ。だから……。」
「あ、その川村さんですか。」
突然大人の調子でそう云われたので、恒夫は喫驚して、茫然と相手の顔を眺めた。
「外を歩きながら話しましょう。」
それは全く落付払った大人の調子だった。恒夫は急に気が挫けて、首を垂れながら、茂夫の後に従って学校の門を出た。茂夫は一言も口を利かず、振返って見もせず、何かをじっと考え込んだ様子で、自家とは反対の方へ、音羽の通りを江戸川の方へ歩いていった。
茂夫が別に驚いた様子も見せず、また喜ばしい様子も見せないで、思慮深そうに落付いてるのが、恒夫には不思議に思われた。そして、どうしたんだろう……と考えてるうちに、ふっと物悲しい気持に閉されて、涙ぐんでしまった。兄にでも縋りつくような気で尋ねかけた。
「君は前から知ってたの。」
「え。」と茂夫は答えてから十歩ばかりした。「そしてあなたはいつ知ったんです。」
「十日ばかり前、お父さんの法事の時、お祖母さんから初めて聞いたんだよ。それまで僕はちっとも知らなかった。お祖母さんから聞いて、喫驚して、それから急に君に逢いたくなって、何度も君の家の方へ行ってみたんだけど、店に人が坐っていたから……。あれ、君のお母さんなの。」
茂夫は何とも答えなかった。だいぶ暫くたってから、独語のような調子で云った。
「僕は前から知ってたけれど、あなたに逢ってはいけないと、お母さんから止められてたんです。」
「え、何故だろう。」
「大きくなれば分ることですって。」
恒夫は妙に冷りとした感じを受けた。自分が今迄漠然と気兼ねしていたこと、祖父母や母やまた茂夫の家の人達に、気付かれないようにしたいと思っていたこと、それがぼんやり分りかけてくるようだった。
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