めちゃくちゃだった。ただもう酒を飲むより外はなかった。
「それでは、今迄通りでよろしいんですね。」
話は少しも進展せず、また同じようなことが繰り返された。するうちに、木山はふいに言い出した。
「僕は決心しています。塚本さんに逢ってみるつもりです。」
由美子は顔色を変えた。
「あなたが、まあ、そんなことを……。」
「逢ったっていいじゃありませんか。僕たちのことは、どうせ塚本さんにも知れてる筈です。逢った上で、きっぱり話をつけましょう。」
「いけません。わたしいやです。第一、奥さまをどうなさるつもりですか。」
「誤解しないで下さい。家内とは関係のないことです。ただ、塚本さんに逢って、僕たちのことをはっきりさしておきたいんです。」
≪また、何を言ってるんだ。腹立ちまぎれの出たらめな思いつきに過ぎないじゃないか。果して実行の意志があるか。彼女からそれを言い出されたとすれば、お前はきっぱり断ったに違いない。出たらめを言うな。ばかなことを言い出して、ますます話をこんぐらかすばかりじゃないか。お前はいったいどうしようというんだ。≫
由美子は黙りこんでしまった。それからふいに、彼にキスを求めた。
「分りましたわ、あなたのお気持ち。わたし安心して時期を待ちましょう。」
「時期ですって……。」
「いよいよの時まで、静かに待っておりますわ。」
「よろしい、僕に任せておいて下さい。」
そしてまた、約束のしるしの冷いキスをした。
それだけで、そして酒を飲むだけで、温い情愛は湧いてこなかった。
≪俺はまったくどうかしてるようだ。なぜ彼女をやさしくいたわってやれないのか。自分自身をやさしくいたわってやれないのか。これはまさしく肝臓のせいだ。肝臓がどこか悪いのだ。肝臓の悪い肉体なんか、ちきしょう、打っちゃってしまえ。≫
木山は不快な気分に陥っていった。女中が風呂のことを聞きに来たが、彼は一言で断った。
由美子ももう言葉少なになり、へんに打ち沈んでいた。
「今日は、これで帰ることにしましょうか。ちょっと、用もありますから。」
「そうですね。僕も、もうちょっと飲んでから、そうだ、出かけることにしよう。」
あやふやな話のまま、自動車を呼んで、由美子は先に帰っていった。
「二三日のうち、またお目にかかれますかしら。」
「ええ、いつでも、明日でもよろしい。お電話下さい。」
「こんどは、のんびりとお目にかかりましょうね。」
彼女の最後の言葉を、木山は炬燵にもぐり込んで反芻してみた。
≪のんびりと、ゆったりと、たのしく……初めのうちはそうだったが、どうして今日のようなことになったのか。彼女の態度も悪いが、原因は俺にもあるらしい。肝臓だ。肝臓が悪いんだ。≫
彼は他にちょっと廻ろうかと思いついたが、疲労を覚えたし、酔ってもいたので、やめてしまい、改めて、芸者を二人呼んで酒を飲み続けた。意識が中断し、時間も停止し、何をどうしたか判然とせず、いつ自宅に帰ったかも分らず、翌朝遅く眼を覚して、初めて人心地がついた。
木山は朝から酒を飲んだ。夜明け頃ふと眼を覚して、ぐっしょり寝汗をかいていたのに、気持ちを悪くしていたし、起き上って顔を洗う時、洗面所に歯磨粉が散らかっていたので、女中を叱りつけ、叱りつけたことで却って気持ちを悪くしていた。そして酒を飲みながら、顱頂部に汗がにじんできたので、気持ちは少しも直らなかった。
そこへ、八重子夫人が下らない話を持ち出してきた。
彼女は元来体が弱く、消化不良に悩んでいた。医者にかかるほどではなく、売薬で間に合せていたが、近来、按摩を毎日のように呼んでいた。いつもきまった按摩で、眼も見え、わりに小綺麗な中年の女だった。その按摩が、昨日は差支えあって、代りに婆さん按摩が来た。その婆さんの話である。
奥さまはなるほど胃がお悪うございますねと、仔細に首を傾けながら、胃病の症状を幾つか話した。その中で、一つへんなのがあった。もう六十あまりの老夫人で、長年胃病に悩み、あちこちの医者にかかったが、どうしても治らなかった。ところが近頃、おかしな症状が起ってきた。物を食べると、胃袋の中のどこかに閊えるのである。汁物までが閊えるのである。そして暫くすると、その閊えたものが、胃袋の底へ、ごっとん、ごっとん、さがってゆく。そして初めて胸が開ける思いをする。柔かい物ばかりでなく、汁物までがそうだから、おかしい。どこに閊えるのか分らないが、確かに閊えて、そしてやがて、ごっとん、ごっとん、下ってゆくのである。医者にみせても原因は分らないし、この節ではもう諦めて、ごっとん、ごっとんを、却って楽しみに待つのだった。
その話を、按摩はただ座興にしたらしいが、自分で胃弱を悩んでる八重子には、へんに気味悪く響いた。
「いやですわ、胃の中でごっとんごっとん
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