なく、老人同志のように心底から寄り添うのでもなく、ただじりじりと互に喰い込んでいった。そこへ、別居していた塚本が、愛人と別れ、自家へ帰って来るという事態が持ち上った。素人のくせに手を出した漁業に大失敗をして、危く倒産は免れたが、家産の大整理をしなければならなくなったものらしい。帰って来れば、自然、由美子と同棲することになる。由美子と木山との仲は、塚本もうすうす察知しているだろうが、元来女というものを軽蔑しきってる彼のこととて、どういう家庭生活になるか分らないのである。それが怖い、と由美子は言った。塚本が引越してくる期日は、まだはっきりしなかったが、近いうちにとの通告があった。その通告は、由美子に覚悟を強要するものだったのである。
 彼女は眼を見据えて木山に言った。
「あなたに愛情があるなら、家を出てしまえと、なぜ仰言って下さいませんか。わたしは、その一言が、あなたから聞きたかった。」
「それは、愛情とは別問題ですよ。家を出てから、どうするつもりですか。」
「わたし一人なら、どうにか暮してゆけるでしょう。あなたに御迷惑はかけません。奥さまに御迷惑もかけません。」
「金銭のことを言ってるんじゃありませんよ。人間としての生活のことです。」
「体面のことを仰言るんでしょう。世間の体面と、愛情と、どちらが貴いんでしょうか。」
「そんなこと、今の問題じゃありません。僕ははっきり言っておきますが、あなたを愛しております。だから、あなたの正しい生き方のことを考えてるんです。」
「正しい生き方……。では、塚本と一緒に暮せと仰言るんですね。別れようと仰言るんですね。」
「違いますよ。愛情は育てましょう。然し、その育て方ですが……。」
 彼は口を噤んで、眉をしかめた。窮地に追い込まれた気がしたのである。そして卓上の一点に眼を据え、酒を飲みながら考え込んだ。
≪木山は別なことに思いを走らせるのである。近頃彼は身体の違和を自覚しだしていた。殆んど毎夜のように寝汗をかいた。睡眠は浅く、熟睡の気持を味ったことがなかった。そのくせ、昼間でも、物を考えてるうちに、うとうとすることがあった。手指や足指の先に、軽い麻痺を感じた。脈搏が、時に速くなり、時に緩くなった。顱頂部にしばしば汗をかいた。眼がくらんでくる気がして、足がふらつくことがあった。顔の肉や掌の肉に、厚ぼったく脹れた感じがすることもあれば、げ
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