万円程度に止めた。図に乗ってはいけないと、自ら手控えたのである。つまり、私としては、程よく自分の分を守ったつもりである。

 右のような借金政策を私に示唆したのは、黒川増太郎である。
 戦争中、内地部隊で、彼は私の部下だった。私の方がだいぶ年下であるが、私は主計少尉になっていたし、彼はまだ准尉だった。終戦後、互に音沙汰もなく過して、私がもう忘れかけている頃、彼はふいに私の宅へ訪れて来た。いろいろ貴重な品物をリュックに一杯つめこんだのを、手みやげにと差出した。
「お礼の気持ちです。」
 その言葉が初めは私の腑に落ちなかった。
 彼の態度や言葉には、鄭重さと粗暴さとが別々に目立ち、彼の服装にもきりっとしたものと投げやりなものとが混り合っていた。つまり、どこか統一のとれない感じだった。話を聞いてみると、彼は闇ブローカーのような仕事をしていたが、最近は金貸業を始めたとのことで、私はちょっと唖然とした。
 それからなお雑談してるうちに、彼のお礼の気持ちというのも分った。部隊解散の折、莫大な軍需品が或る程度まで経理部の自由になったので、私は、黒川の家庭が貧しいと聞いていたから、若干量の物資の自由処
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