快そうに大笑したのである。
私には金の入用があった。母への孝養のためもある。妹の扶養のためもある。それらは家庭に於ける私の当然の責務である。そのほか、三上京子との交際のために、多少の小遣がいる。給料だけではなかなかやってゆけないのだ。
京子は会社の女事務員で、まあ私と相愛の仲である。熱烈な恋愛をしたわけではなく、いつとなく情交を結んだという、甚だ平穏な関係なのだ。この話についても、私は程好いところを歩いたことになる。愛情の機縁などというものはなく、若い男女が普通互に憎からず思う程度の気持ちのうちに、彼女のアパートの室で、二人寝ころんでしまったのだ。特別に印象深い情景などは何もない。
彼女は体の大柄な方で、精神的にはいささか鈍いところがある。長めの顔立ちに、小さな眼と小さな鼻と小さな口とがぽつりぽつりと置かれた感じで、鼻筋はよく通り、そして耳朶の恰好がたいへん美しく整っている。私はその耳朶をいちばんよく愛したとも言える。彼女は一度結婚したことがあるのを誰にも隠さず、これから一人で自活するのだといっていた。全体としては質素な生活をしているが、砂糖とバターには金をおしまなかった。それから、顔の色艶に変化が激しく、皮膚が美しく冴えて澄んでることもあれば、醜く濁ってくすんでることもあるが、それとは別に、気分はたいてい明るかった。何かしら統一のとれない感じを私は受けた。そのことが却って私を惹きつけた所以かも知れない。
私たちは同僚の目を避けて、映画を見に行ったり、コーヒー店にはいったり、郊外散歩としゃれたり、彼女の室で酒を飲んだりした。甚だ通俗的でみみっちいと言えばそれまでだが、言い換えれば破目をはずすことがなかったのだ。
一方では、私の借金政策はうまくいった。返済期日を厳守したため、借金をしながら却って信用を得たとも言える。黒川は私に対してやはり誠実で、いろいろ指導してくれたりした。最初に少しく無理算段しただけで、黒川の手に託されてる私の資金は次第に殖えてゆき、入用な小遣はいつでも引き出せるようになった。使うことばかり急いではいかん、と黒川は私をたしなめた。
万事が調子よく進んでいった。私は至極安泰だった。大望や野心がなかったからだ。そして自分の分を守って中道を歩いたからだ。私は全くのところ程好い人間なのである。そして程好い生き方をしたのである。程好い人間が程好
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