と事実とを何が区別してくれるんでしょう。」
「初めから区別は出来なくても、それは、現実そのものが処理してくれるよ。その現実の処理を先見することだね。」
「先見がそのまま杞憂になることだってありましょう。現実は気まぐれで、ちょっとした機縁でどっちへ進むか分りません。だから、現実を指導することが必要で、現実の処理に任せておけないんです。」
「それは循環論だよ。」
「そうです。すべてが循環論法で進んでゆきますから、そのどこかに終止符を、基点を据えなければなりません。私は指導のところに基点を置きます。それだけの誇りを持ちたいんです。だから、李の所謂公の立場というもの、公の立場の最も完全なものは機械だという説を、一応認めながら、賛成しかねるんです。あんな説を押しつめれば、人間から精神力を奪うことになります。」
「いや、それは誤解だろう。李はあの機械説というか公の立場説というか、あれに高い精神力を認めて、そこから物を言ってるんじゃないかね。」
「精神力じゃありません。単なる力です。そういう力は、人の熱情を窒息させます。いつかこんなことを云いました。火の如き熱情という言葉があるが、あれは嘘っぱちで、火は精神力ではあっても、熱情ではなく、熱情というのはくすぶってる薪にすぎないと云いました。然し、単にくすぶってる薪でもなんでもいい、熱情によってこそ人は救われると私は思います。ところが、熱情は次第に世の中から衰えて、所謂精神力だけが横行してきてるんじゃありませんでしょうか。この頃では更にその精神力まで衰えて、ただ体力ということが表面にのさばりだしてきました。」
「だが、その体力ということは綜合的なもので、君の云う熱情や精神力や、身体の力や、其他のものをも含めて云われるんじゃないかね。」
「本来はそうなんでしょう。けれど、身体の力だけがのさばって、熱情なんか消えかかっています。私は人中でふと、俺は違うんだぞと叫びたくなることがあります。今晩もあるおでん屋で酒を飲んでるうちに、そんな気持になって、俺は違うんだと心の中で叫んでいました。周囲の者がみな木偶坊に見えてきました。木偶坊といっても、鉄か石かコンクリーで出来てるやつです。頑丈だが、あらゆる意味で不感性のやつです。それらの中で、私一人酔っ払って、そこを飛び出して、ぼんやり歩いていますと、急に悲しくなりました。私には、世の中に、真の職場と
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