の母親から大体の話をきいてる間、そしてその後になっても、竹山は自分の室にはいったきり出て来なかった。見にいってみると、写真器の破片がちらかってる中に、竹山は茫然と坐りこんでいた。身体が硬直していた。精神までも硬直していたらしい。じっと眼を据えたきりで、誰が何と云っても、もう一言も口を利かなかった。それでも、手を引いてやると、おとなしくついてくるのだった。
その夜、竹山茂吉が、アパートの自分の室の中で、拳銃で心臓を弾ち貫いて自殺したことが、中一日おいて分った。最後の苦悶のうちにも握りしめていたらしい拳銃が、自殺を立証した。遺書めいたものは何も見当らなかった。
それらのことを、川村さんは話し終えてから、良一の意見を求めるもののように、しばらく口を噤んでいた。良一は言葉が見当らなかった。川村さんは煙草をふかしながら云った。
「今になって僕は、竹山の父親に対する僕の本能的な反感の理由が、ぼんやり分るような気がするんだ。彼は行きづまってから、女と出奔した。女から裏切られると、それを殺そうとした。それから子供に無理にも逢おうとした。そして遂に自殺するようなことになった。ところが、僕なら、最初の第一歩で自殺してるね。それが、僕のようなインテリの弱さかも知れないが、また強みでもあり、朗かさでもある。要するに性格の相違だ。」
良一は、川村さんの冷いところと温いところに、同時にふれたような気がした。それと共に、もし小鈴との愛がなかったら、川村さんは竹山の事件をどう感ずるだろうかと、考えてみるのだった。やはり川村さんも、自分の現状を超越した心境にはなり得ないのであろう。川村さんと小鈴との関係を新たに見直さなければならないと、良一は思うのだった。
ただ、良一が安心したことには、皆でこれから椎の木に別れを告げに行こうと、川村さんは云いだした。竹山茂樹の憎しみの幻影がこわれると共に、原野権太郎の幻影もこわれてしまったらしい。川村さんはしみじみと云うのだった。
「椎の木などは、実はどうでもいいのだ。竹山があんまりこだわるものだから、僕もつい変な気になったが、自然の美は、個人で所有すべきものじゃないだろう。」
川村さんも小鈴も良一も、自動車の中では無言だった。椎の木の下へ、木戸をあけてはいっていっても、誰も余り口をきかなかった。日は西に傾いて、椎の木の影が崖下に長くのびていた。昔は田園だった低地の家根並の彼方、田端一帯の高台は、正面に日光を受けて、明るく暖く輝いていたが、椎の木の下はとっぷりと影になって、ほろろ寒かった。良一はその椎の木をさほど立派だとも思わなかった。
「ここは、朝日の光を受ける時でなくてはだめだ。」と川村さんは云った。
それが、別れを告げる言葉のように響いた。短い間で、三人はそこを出て、待たしておいた自動車に乗った。そして上野の池の端の方へ、支那料理をたべに行った。
「今日は贅沢してもいいが、明日からはずっと倹約だ。」と川村さんは云って笑った。「これからはもう、君の伯父さんにも狂人だと云われなくともすむだろう。」
「結婚なさるんですか。」と良一はとっさに尋ねた。
川村さんと小鈴とは眼を見合って、晴れやかな微笑をかわした。
「すぐそれだから、君たちには困るよ。もっと自由な考え方をするんだね。」
良一は何故ともなく顔を赤らめた。そしてまた、川村さんの気持が分らなくなるのだった。
竹山茂樹は、施療の精神病院にはいった。父親の遺骨は、故郷の山形へ送られ、母親は、川村さんの家で、家政婦として働くようになった。そして神明町の椎の木は、それから数年後、現在も、天然記念物として市の管理に属し、生々としている。
底本:「豊島与志雄著作集 第三巻(小説3[#「3」はローマ数字、1−13−23])」未来社
1966(昭和41)年8月10日第1刷発行
初出:「経済往来」
1934(昭和9)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年1月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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