となく意中をうちあけた。そうした時、彼女がどういう言葉使いをし、どういう云い廻しをしたかは、普通の人にはとても分らない。彼は僕にその時のことをこう云った。
「母は少しも悲しそうな様子を見せませんでした。切ない眼色も見せませんでした。そして世間話でもするような調子で、人の運命というものは、大きな深い河に流されてるようなもので、※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]けば※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]くほど溺れるばかりだから、じっと流されていった方がよいだろうと、そんな風に話をしました。はっきりした事柄は一つも云わないで、よく分りよく腑におちるような、そうした話しかたでした。他人の噂さのような云いかたをして、その次に一言、わたしたちだってそうでしょう、と云いそえるのでした。ああ、わたしたちだってそうでしょう。たったその一言で、全体の話が実はわたしたちだけのことだと分るのでした。その言葉を云う時、鬢のほつれ毛が、こまかく震えていました……。」
 僕にはその時の情景が眼に見えるようだ。母は今まで守り通してきた貞操を――それも夫に対してではなく、子の名誉のために守り通りして
前へ 次へ
全54ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング