あることだし、あの観音様に琵琶湖の護《まも》り主となっていただこう、というのです。
 さて、その日になりますと、ありがたい観音様が、琵琶湖の護り主となって、水にはいられるというので、おおぜいの人たちが湖水《こすい》のふちに集まりました。そこの岸には、紫色のはっぴをきた水夫たちが、洗いきよめた船を用意していました。その船の方へ観音様は進《すす》んでいかれました。
 まっ先に、三井寺《みいでら》から迎えられたお坊さんが行き、次に、観音様をせおっている鞍馬《くらま》の夜叉王《やしゃおう》がつづき、堅田《かただ》の顔丸の丸彦がうしろから見はりをし、そのあとに、堅田の顔長の長彦と、坂の上の朝臣がならび、さいごに、めしつかいの男や女がしたがいました。
 人々はどよめきました。
 お婆さんが、地べたにかがんで、観音様をふしおがみました。船頭のおやかたが膝《ひざ》まずいて、観音様にそっと手をふれてお祈りをしました。それから、多くの人たちが、観音様をそっとなでて、それぞれになにか祈りました。
 するうちに、観音さまをせおっている夜叉王が、しだいに苦しそうな息づかいをし、汗をながしました。観音様がだんだん重くなっていくようでした。
 夜叉主《やしゃおう》としては、こんなにみんなから敬《うやま》いあがめられている観音様《かんのんさま》を、わるだくみのたねに使ったことが、とてもくやまれてならないからでした。
 そして船の近くまで来ると、夜叉王は心の苦しみにたまりかねて、ばったり倒れました。その時、額《ひたい》をうって、傷をうけ、黒い血がだらだら流れました。
 夜叉王はまた起きあがりました。額からはもう、赤い血が出ていました。そして、泣きながら顔長の長彦に頼みました。
「私も、観音様といっしょに、水にはいらせてください。観音様のおともをして、いつまでも、この湖水《こすい》を護《まも》りとうございます」
 それは、真心のこもった言葉でした。長彦はじっと夜叉王のようすを見、深くうなずいていいました。
「今日は、そういうわけにはいかないが、お前のことは、私が考えておいてあげよう。私にまかせておくがよい」
 そうして、一同はめしつかいたちを残して、船にのりこみました。
 船は沖へこぎだしました。沖の深い所までいくと、そこで、観音様はしずかに水へはいられました。

 坂《さか》の上の朝臣《あそん》のはからいで、鞍馬《くらま》の夜叉王のことは、すっかり顔長の長彦にまかせられ、京の大臣の馬は、顔丸の丸彦がもらいうけました。
 鞍馬の夜叉王は、もうまったく、よい心にたちかえっていました。そして、丸彦にとらえられている手下の心も改めさせ、つづいて、鞍馬山のおくに残っていた手下どもも、心を改めさせました。
 顔長の長彦は、夜叉王《やしゃおう》がためていたお金を、貧しい人たちにくばってやりました。
 それから、観音様《かんのんさま》に集まっているおさいせんをもとにし、じぶんもお金を出し、ほかからもお金をきふしてもらって、夜叉王のために大きな船をこしらえてやり、その船で、琵琶湖《びわこ》じゅうをあちこち、客をはこんだり荷物をはこんだりさせました。
 そのために、琵琶湖は大変便利になりました。そして、どんな暴風雨《あらし》の時にも、夜叉王の船はびくともしませんでしたし、また、あの観音様が水にはいられた所には、波が少しも立たなかったということであります。



底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
   1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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