何のつもりか、片野さんは意地張り通した。ペーパーと鉛筆とを揃え、瓦斯ストーヴの上に薬罐をかけ、それで燗をすることにして、銚子を新たに一本用意さした。食べ残しの干物がまだ膳の上に残っていた。そしてそこで一人になることを主張した。芳枝さんは二階に上っていった。裏口のそばに、雑作改造の時に取残してある三畳の室があった。佐代子はそこに寝るのだった。板前の高橋とその姪の美智子は、いつも十二時には帰っていって、その晩も、片野さんが来た時にはもういなかったのである。

 その夜更け、狭いひっそりした店のなかに一人になると、片野さんはちょっとあたりを見廻して、笑みをもらした。それから酒の燗をして、またも飲み初めたが、眼をじっと見据えて、何やら考えこみ、やがて眼をとじ腕をくんで、食台によりかかったまま身動きもしなかった。
 時間がたった。眠ってしまったのかと思われる頃、彼は急に眼を開いた。それからすぐ、ペーパーをのべて、鉛筆で何か書きはじめた。
 いろいろな不思議な模様だった。縦の線、横の線、四角や三角の円、唐草模様、妙な形の花や葉、動物や人形の像、其他何とも判断のつかないようなものが、入り乱れ散ら
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