れとすべてのものを誘う盲目の淵、その中におれはもぐり込んだ。快適でもあり、息苦しくもあった。次第に、後者の方が強くなって、窒息の危険さえも感ぜられてきた。
おれは彼女を肱で突ついてみた。愛する女だったら、指先で探ってみるところだが、彼女には肱でたくさんだ。彼女はぐっすり眠っていた。白粉を洗い落した皮膚は艶やかで、顔の大型なわりに鼻がすっきりと細く、受け口をなして※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]が少ししゃくれている。そして安らかな息をしているが、それに一種の香気があった。――だいたいに、酩酊者の息は臭い。おれ自身、酔後の息の臭さを自分でも感ずる。だが喜久子は、いくら酒を飲んでも、実際はそうたくさん飲まないのかも知れないが、おれの知ってる限りでは、息が臭くなることはなく、却って一種の香気を帯びた。そのことをおれは、女性の体温の浄化作用かとも思ったものだ。盲目の淵の中でのばかな錯覚に違いない。おれ自身の息が甚しく臭いものだから、彼女の息の適度の臭さを香気とも感じたのであろう。朝露と朝焼けとの中の空気に比すれば、たしかに彼女の息はいくらか臭かった。
肱で突つかれて、彼女は、仰向け
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