なるべく他の客達と顔を合わせるのを避けた。「マダム」の愛人らしい振舞いではなく、その間男らしい振舞いなのだ。他の客達の中心には、言うまでもなく中野卯三郎がいた。そしてややもすると、彼からおれの方へ押しよせてきた。
それでも、やはり、おれは虚勢を張って、酒場で早くから飲みだすこともあった。喜久子は何喰わぬ風を装っているが、語調や素振りの些細な点で、おれとの親昵を[#「親昵を」は底本では「親眤を」]曝露してしまう。それによっておれは却って救われた気持ちになる。思えば浅間しい限りだ。
なるべく早く酔ってしまいたく、立て続けに飲んで、さてその後では時間をもてあまし、屋上をぶらつくことも、しばしばあった。――先日もそうだった。冷かな夜風がそよ吹いて、上弦の月が西空にかかっていた。その淡い月光は、高いビルの屋上では、地上よりも身にしみて、園部の所謂旅情をそそる。おれは胸壁にもたれて、煙草を吸った。その時、中野が近づいて来た。彼を平気で迎えられたのも、旅情のせいだったであろうか。
彼はもう相当飲んでるらしく、二三度大きく息をついた。そして何か憚るようにゆっくり口を利いた。さすがにおれに向っては
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