った。床の間の軸も物置もいつもの通りになっていた。自分は蒲団の上に坐って、中西と看護婦とから肩を捉えられていた。婆さんが火鉢の側につっ立っていたが、また静に坐ってしまった。
 彼は深い溜息をついた。肋膜のあたりが急に痛み出した。それでまた薄団の中に横になった。電球に被せてある紗の布が何だか不安だった。
「あの布《きれ》を取って下さい。」と彼は云った。
 看護婦が立ち上ってそれを取り払った。
 室の中は明るくなった。眼がはっきりしてきた。と共に頭の中が急に薄暗くなってきた。意識の上に深い靄がかけているような気がした。凡てのことが夢のような間隔を距てて蘇ってきた。彼は眼をつぶった。そして静にその光景をくり返した。
 凡ては底の無いような静けさに包まれていた。
 ――敬助は机に片肱をもたして坐っていた。慶子は彼の方へ肩をよせかけて坐っていた。二人の前には火鉢に炭火がよく熾っていた。夜はもうだいぶ更けているらしく、あたりはひっそりと静まり返っていた。何の物音も聞えなかった。二人の息さえも止まったかと思われる程だった。その時、急に慶子の呼吸が荒々しくなってきた。敬助は驚いて顧みると、彼女は眼を閉
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