ある。何か熱情の足りなさが気になるのである。
ここに、雑多な印象が一度に蘇ってくる。
台湾では、耕作には主に水牛を使っている。これは甚だ便利な動物である。野外に眠るし、炎暑の折は水に浴するし、食料としては穀物を与えずとも野草で足りる。その上に肥料を供給してくれる。――だが、稲田で除草をしてる本島人の姿は奇である。彼等は内地人のような屈み方ではなく、泥の中に膝ついて、膝頭でのろのろと匍っている。
本島人の飲食店は、すべて支那風で、見たところ乱雑であるが、然し食器類を熱湯で洗う衛生的な習慣は、本格的なところで守られている。――だが、感覚は鈍い。裏町の狭小な門口に、土の凸凹があっても、それを鍬で平らにすることなく、大きな石が転っていても、それをなかなか取除けない。かかる無関心さは徹底的である。
台北にはうまい食物市場がある。江山棲前市場には、毎夜、百以上の屋台店が並んで、鶏肉や魚肉や豚の耳などが豊富にある。永楽市場の一隅にも、毎昼、豊富な屋台店が出る。ここで飲食してる本島人の生活力が思われる。――だが、本島人の上流階級はなかなかこんな場所に立寄らない。内地人も全体的にそうである。普通
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