、密林の濃緑をまとって、頂から真先に人にじかに迫ってくる。否、一歩戸外に踏み出すや否や、山々はそういう姿勢で其処に在る。海岸沿いに舟をやれば、天空から山の頂が威圧してくる。東部の山々は大体、そういう姿勢を多少とも取っている。
 それらの山に伴って、また特殊な河川がある。花蓮港庁や台東庁の地図を見れば、無数の細長い湖水があるのに驚かされる。だが、それらの水色の湖水は、現実には単なる河床に過ぎない。或はごろた石の、或は砂利や砂の、広い河床であって、雑草が茂り、自由耕作がなされてる部分もある。それが、大雨に及ぶと、山水が一時に注ぎこんできて、全面的に河となる。山裾から山裾への谷間――狭い平地――を全面的に蔽いつくす河流となる。そしてまた暫くして、元の河床に復帰する。台湾の多くの河は、何々河と称せず、何々溪と称するが、言葉の起源は別として、この溪という語感は東部の河にぴたりとあてはまる。大きな河としては殆んど唯一の呼称たる淡水河が、河の語感によく妥当するのと同様である。
 東部のそれらの山と溪とに、私は台湾の熱情を見る。地上の自然界の熱情である。これに比ぶれば、天然樟樹の森も、椰子の林も、蘇鉄
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