怪しいものが身内に浸みこんでくるような厭らしさだ。彼は母に言った。
「そんなつまらないものに気を取られていると、こちらの影が薄くなりますよ。」
「そうですよ。影が薄くなってきました。耳もおかしいし、眼もおかしいし……。」
 カヨは何のつもりか、頭を振った。
 実のところ、なんだかへんなのである。久子が注意していると、カヨは猫を抱いて外に出ることが多くなった。春先の暖気のせいばかりではなさそうだ。石に腰かけて、彼女は物を考え、猫は物を探索している。
 カヨはまだ腰が曲ったというほどではないが、めっきり背が低くなったようである。だいたいが小柄である。肉附きはいい加減で、下脹れの頬の肉はたるんでいる。いつも着附けが正しく、だらしない様子を見せることはない。もう顔にお化粧はしないが、色白の滑らかな皮膚である。その、見たところ上品な小さな彼女と、肩に乗っかってる白猫と両者をよくよく眺めると、なんだかへんで、怪しいのだ。彼女が読経は殆んどせず、写経にばかり凝ってることを、久子はやはり怪しく思い起した。
 土蔵の二階などに籠りがちな生活が、カヨのためによくないのではあるまいかと、桂介と久子は話し合った。然し、その対策はもう出来ている。家屋を新築することだ。
 家屋新築は、資金の点から見ても容易でなかった。ところが、亡父正秋の知友で、衆議院議員になってる木村又太郎から、耳よりの話があった。木村自身からというよりも、夫人の美津子からの話である。邸宅新築のために材木を買い入れておいたところ、建築法令に抵触して、予定通りの家屋を建てることは危険となり、だいぶ材木が余った。二三室の家屋を建てるには充分の量である。土蔵住いでは御老母にも気の毒だし、思い切って新築しないか、そういう話なのである。大工などもこちらから差向けてよろしいとのこと。材木代や工賃などは、すぐに頂けないとすれば、証書を入れておいて貰いたいと、それだけの条件である。
 桂介と久子は相談の上、新築の決心をした。桂介が勤めてる会社は、陶器工業の本社で、将来発展の見込みは充分ある。いずれ金の融通ぐらいは出来るだろう。一時、木村から借りておくのだ。ただ問題は、母カヨを説得することだった。
 土蔵のカヨの生活は、どこから見てもよろしくない。子供達にも土蔵はよろしくないようだ。なんだか暗い影がさすのである。新築の明るいところへ移ったら、
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