言いだしていた。耳がおかしいと言いだした、その後のことである。耳の方は、夜中に時計の音がいつも一つしか聞こえなくとも、それは錯覚としてもよく、裏の笹藪のかすかな音まで聞こえるとしても、それも錯覚としてもよかった。だが、耳についで、眼もおかしくなった。
 二階の窓には、鉄格子の内側に、新たに硝子戸が取り付けてある。その硝子戸の外から、誰かが室の中をじっと覗いてることがあるのだ。はっとして、注意をこらすと、その怪しい人影は消えてしまい、あとには、こちらの姿がぼんやり映ってるだけである。その自分の姿に邪魔されて、怪しい人影の正体は一層見極めにくい。
 それはただ気のせいで、錯覚にすぎない、と桂介は考えたい。
「いいえ、そればかりじゃありません。」とカヨは言う。
 夕方など、表の薄暗いところから、誰かがじっと家の中を覗いているのを、確かに彼女は見たのである。炊事場などは、更に怪しいことが多かった。
 土蔵の内部を改造して住居にしたとはいえ、それだけでは、どうにもならなかった。横手の壁をくりぬき、小さな潜り戸をつけ、その外にくっつけて炊事場や物置や便所を作った。トタン屋根の簡単な造作である。盗人の用心のため、潜り戸は厳重にし、炊事場には大事な物は一切置かないことになっている。そこには硝子戸が多い。その硝子戸に、しばしば人影がさすのである。勿論、夕方から夜にかけてのことだ。こちらの姿はいつもぼんやりしか映らないが、怪しい人影は、ちょっとの間のことで而も極めてくっきりと見える。
 やはり錯覚だ、と桂介は判断した。闇に限らずすべて薄暗いものを背景とすれば、硝子は光りの工合で鏡の役目をする。僅かな視角の差で、鮮明にも映れば朦朧にも映る。その映像は甚だ不安定だ。カヨは恐らく、自分の不安定な映像を、或る瞬間に異物と感ずるのであろう。そして驚いた身振りのために、視角が変って、映像はすっかり消え失せることもあろうし、自分の映像だと認知されるものだけが残ることもあろう。
 勤務先の会社や、自宅で、桂介は硝子に自分の姿を映してみた。鮮明度はさまざまで、全身がくっきり浮き出すこともあれば、ただぼんやりした薄ら影がさすこともある。顔だけのこともあり、額だけのこともあり、手だけのこともある。その不安定な映像、往々にして寸断された映像を、面白半分に弄んでいるうちに、彼はなにか不気味な気持ちになってきた。
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