そして眼をうすく開いて、男をけげんそうに見上げながら、やさしく頬笑んだ。男は安心して、電燈を消して寝た。
 ――或る夜、こんどは女が眼を覚して、手を伸ばして男の顔を撫でてみた。すると、その顔には眼も鼻も口もなく、のっぺらぽうだった。女はびっくりして、立ち上り、電燈をぱっとつけた。見ると、男の顔はいつもの通りで、しかも薄眼を開いて、女をけげんそうに見上げながら、やさしく頬笑んだ。女は安心して、電燈を消して寝た。
 ――そのようなことが何度かあった。そして男の方も女の方も、相手の顔が時々のっぺらぽうになるのは、あまりその顔を撫ですぎたからだと考えた。けれど、その顔のことや自分の考えのことは、胸の中に秘めて、相手には打ち明けなかった。そして次第に、夜眼を覚しても、相手の顔を撫でなくなった。
 それだけの話なのである。けれど、つまらない話だといくら思っても、私の頭からそれが消えなかった。ばかりでなく、私は実際、のっぺらぽうの顔を見た。
 その晩、祖母の気分がだいぶよいようだから、私は自分の室にはいって、久しぶりに、ドストエフスキーの飜訳小説の続きを読んだ。けれど、睡眠不足が重っていて、頭が冴えないので、早めに寝た。鏡台も机も縁側の方を向いており、蒲団も縁側の方を頭にして敷くことになっている。それで、横向きに寝ると、窓が真正面に見える。暫くとろとろとして何かの気配に眼を開いてみたら、窓の硝子戸の一枚だけが、ぼーっと明るかった。その明るいところに、なんだか物影がさしていた。見ていると、物影は伸び上って、それが、眼も鼻も口もないのっぺらぽうの顔だった。
 私はぞっとして、蒲団を被り、息を凝らした。やがて、ばかばかしいと反省して、蒲団から覗き出してみると、のっぺらぽうの顔は消えていて、硝子戸の一枚はやはりぼーっと明るかった。そこの雨戸一枚を閉め忘れてることが分った。物影は何かの錯覚だったのだろう。
 けれども私は、それからは、二ワットの小さな電球をつけて寝ることにした。外を明るく屋内を暗く、という盗難よけの法を守っていたが、盗難よりものっぺらぽうの影の方が気味わるかった。
 そんなことのために、あの話がなお深く頭にくい込んできた。それを追い払うには、話の出所を確かめるのが第一だし、学校で、国語の先生か英語の先生かに尋ねてみようと思った。けれど、いざとなると、気恥しくて口に出せなかっ
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