は駄目だ。僕の中のものが、こわれていっちまう。そして、忘れられない。だんだん君を好きになってくる。……どうすればいいんだ。どうにでもしてくれ。どうすれば……。」
云いながら、彼の眼には、冷かな裸像が映っていた。水色の紗に漉された和らかな電燈の光の中、屏風を背景に、立膝で、長襦袢からぬけ出した上半身……。――「背が高いから、なんだけれど、あたし、そんなに痩せてないでしょう。」肌目のこまやかな、なだらかな肉附で……。それが、愛慾の気などみじんもなく、清浄と云えるほど冷かな、大理石の彫像のようだった……。
吉乃は少し身を引いて、固くなっていた。そして、不似合な長い溜息をもらした。
「酒をのんで、騒ぐといいわ。……何か弾きましょうか……あやしいんだけれど……。」
岡野は夢からさめたように、彼女の顔を眺めた。彼女の眼がちらと、極り悪そうに光った。それが彼の顔を輝かした。
「そう、飲もう。酔っ払ってもいいね。……そして、誰か、……君の好きな人でも呼んだら……。」
「いいの、ほんとに……。」
気懸りそうに彼女は笑った。
「じゃあちょっと、聞いてくるわ。」
そして彼女が立っていくと、岡野はじっと眼を据えていたが、急に、卓子の上につっ伏してしまった。
その頃のことを「青柳《あおやぎ》」の女中は、一寸不審そうに眼にとめた。
元気な精力的だった岡野の顔が、肉薄く痩せて、色艶がなくなり、陰欝な影をたたえて、それでいて妙に蒼白く冴えて見えた。その顔をなお引緊めて、ひどく真面目くさい様子でやって来た。以前は人の気につかなかった鼈甲緑の眼鏡が、不調和に目立った。度は低そうだが、その眼鏡の奥に、彼は視線を隠すようにしていた。何だか、「教会堂にはいって行く信者さん、」そういった風なものを思わせた。
座敷は大抵、彼の好きな、奥の階下の六畳……。殆んど口を利かなかった。吉乃が来るまで、一人で黙って酒を飲んでいた。女中の一寸した冗談口にも、蒼白い顔を赤らめることがあった。誰でも、だんだん図々しく場所馴れてくるものだが、彼だけは「丁度その逆様」をいってるようだった。或は、「吉乃さんに真剣に」なってきたかも知れなかった。然し不思議なことには、吉乃が例によって、ほかに出ていてなかなかやって来ないような時、彼は次第に気持がほぐれて、「ふだんの」彼になって、「賑かに」なることがあった。
吉乃の方
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