を害する、殊に白粉の顔の皮膚を害する、というのを信じていた。そして、「顔は表看板だから……。」
それが、おかみさんを微笑ました。
「……気質《きだて》も素直だし、顔もよい方だし、肌も綺麗だし、旦那の一人や二人、出来ない筈はないんだが……。まったく、看板みたいな妓《こ》だ、どこか、足りないんじゃないかしら……。」
相当な流行妓なのに、失礼な言葉だ。がそれよりも、三四人も妓を抱えているおかみさんとしては、余りに目先の利かない言葉だ。ありようは、彼女の勤めぶりを見ればすぐに分ることだった。彼女は、好意の感情を超越してるらしかった。親疎の感情を超越してるらしかった。云わば、最も公平に商売をした。ひらのお座敷でも、または……。
意地とか張りとか侠気とか、長く培われた伝統は、公平であってはいけないと教えている。表面は公平が立前でも、裏面には不公平がのさばっている。それが人情だ。そこに面白味がある。言葉尻の表情、見交す眼付……刹那に燃え、刹那に消ゆるものであろうと、その光に輝らされて、或は過去の、或は将来の、別種の深い世界が描き出される。それが、陥穽《おとしあな》だ。罠だ、或は逃避所だ。人は獣《けだもの》を真似て、四匍《よつば》いで競争する……公然と。なぜなら、それが人情だから。そしてそれが商売となっている。人情を無視することを原則とする商法の、埓外に出た特殊の商売だ。
それが、ひらのお座敷でも。況んや……。
そんなことを吉乃は考えてはいなかった。然し、無意識的に、商法の原則を守っていた。彼女の眼付は、二重の意志表示をしなかった。しまりのわるい唇は、どの客にも同じように金歯の光を見せた。そしていつも、舌ったるい口の利き方をした。云わば、万人の手の届くところに、陳列棚に、正札をつけて商品をのせていた。公平な商人は、自分の商品の価値を知っており、自分の商品を大事にする。不精なのんきな彼女も、自分の商品を大事にすることは人に劣らなかった。嘗て病気を知らない、というのが彼女の誇りだった。明るく、手際よく、公平に、取引を済した。晴々とした商売だ。
そういう彼女だったから、いつも、客の前に出る時、金入の中には相当の金を用意していた。懇意の客から、欲しいものはと聞かれても、ただ笑っていて、何にもねだらなかった。その代り、出先を馴染の客から呼ばれても、たとい自由のきく時でも、時間まで
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