「狸《たぬき》の鳴《な》き声《ごえ》、知らない知らない、キイ、キイ、キャッキャッ」
 それを聞《き》くと、小屋《こや》の中は沸《わ》き返《かえ》るような騒《さわ》ぎになりました。「狸《たぬき》の声を人形も知らない――人形が口を利《き》いた――猿《さる》の鳴《な》き声をした」とてんでにいいはやして、見物人《けんぶつにん》のほうが踊《おど》りだしました。
 甚兵衛《じんべえ》は初め呆気《あっけ》にとられていましたが、やがて程《ほど》よいところで挨拶《あいさつ》をして、その日はそれでおしまいにしました。
 甚兵衛と猿《さる》と二人きりになりますと、猿《さる》は顔《かお》から汗《あせ》を流《なが》しながらいいました。
「甚兵衛さん、今日《きょう》のように困《こま》ったことはありません。狸《たぬき》の鳴《な》き声を知らないのに、鳴《な》けとなん遍《べん》もいわれて、私はどうしようかと思いました」
「いや私もうっかりいってしまって、後《あと》で困《こま》ったなと思ったが、しかしお前が知らない知らないといったのは大できだった」
 そして翌日《よくじつ》からは、踊《おど》りや鳴《な》き声を前からきめておいて、それだけをやることにしました。

     四

 ところがその都《みやこ》に、四、五人で組《くみ》をなした盗賊《とうぞく》がいまして、甚兵衛の人形の評判《ひょうばん》をきき、それを盗《ぬす》み取ろうとはかりました。そしてある晩《ばん》、にわかに甚兵衛の所《ところ》へ押《お》し入り、眠《ねむ》ってる甚兵衛を縛《しば》りあげ、刀《かたな》をつきつけて、人形をだせと嚇《おど》かしました。甚兵衛はびっくりして、あたりを見|廻《まわ》しましたが、猿《さる》はどこかへ逃《に》げてしまって居《い》ませんし、まごまごすると刀《かたな》で切られそうですから、仕方《しかた》なく人形のある室《へや》を教《おし》えました。盗賊《とうぞく》どもは人形を奪《うば》うと、そのままどこかへ行ってしまいました。
 盗賊《とうぞく》どもが居《い》なくなった時、押入《おしいれ》の中に隠《かく》れていた猿《さる》は、ようようでてきて、甚兵衛の縛《しば》られてる繩《なわ》を解《と》いてやりました。けれども盗賊《とうぞく》どもが逃《に》げてしまった後《あと》なので、どうにも仕方《しかた》がありませんでした。ただこの
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