あろうか。皇軍の大作戦の故もあろう。然しそればかりではない。この大作戦を通じて、神話の復活――島の神話たる日本神話の復活が、胸の底にひしとこたえるのである。フィリッピンだけでも七千余の島があるという。大東亜海の島々は無数であろう。神話の復活の中に身を置いたわが青春は、そこを、その大小無数の島々を、故郷のように夢みるのだ。夢みつつ涙ぐむのだ。神話が復活したからだ。
現代への神話の復活を、こういう風に述べれば、余りに他愛ないことだと識者は笑われるであろう。けれども、わが青春そのものの胸へじかにふれるものは、先ずそこから始まるのである。民族精神の高さも深さも底知れぬ力の発現も、そこから湧いてくるのである。神話の復活をこの素朴な形態に於て捉えた後にこそ、いろいろな論議はなされなければならない。
この段階、わが青春が島々を夢みる段階に於て、大陸は既に老い、島は常に若いと云いきれる。私はこれを、政治的な或は経済的な或は民族的な意味で云うのではなく、其他如何なる意味で云うのでもない。大東亜の新たな文化、もしくは局限した新たな文芸、それだけの面について云うのである。だが、文芸に於て、更に狭めて文学
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