てくるんだ。第一笹木が何処からそんな金を手に入れたかが疑問なんだ。彼奴が金なんか持ってたためしはなかったんだからね。なるほど仕事の腕は持ってるが、いつも酒ばかり喰ってたじゃねえか。それに彼奴が僕達を松尾の方へ引張り出した張本人だろう。それにあの時のしゃあしゃあとした態度はどうだ! 誰にだって大体の想像はつかあね。俺は浅井と一緒に手を廻して、内々調べてみたよ。すると確かに、彼奴は松尾と共謀《ぐる》だったらしいんだ。」
不思議にも、俺はそういう話を聞きながら、前に一度自分でも笹木の共謀を想像したことがあったような気がした。或はまた、自分の知ってることを、池部から改めて聞かされてるような気がした。そして俺は別段驚かなかった。一体この事件くらい馬鹿げたものはなかった。事の起りは八月の頃で笹木が俺達の仲間十五人ばかりを松尾に引合わしたのである。松尾は或る富豪から全権を任されたとかで、新らしく印刷所を拵えにかかっていた。給金制度でなしに、純益配分制度とかの、理想的な会社になる筈だった。そして俺達はうまく勧誘されて、その会社にはいることを約束した。勿論その間にはいろんな交渉もあったが、十月の半ばには、俺達は自分の印刷会社から出て、一人前百円ずつ手当とかいう名義の金を貰い、新会社に雇傭の契約を済して、その会社が事業に着手するのを待っていた。或る印刷所を買い取ってすぐに仕事を初めることになっていた。所がいつまで待っても会社は出来上らなかった。笹木が始終俺達の代表となって松尾と交捗していた。するうちに、松尾が突然姿を隠してしまった。富豪から出さした一万に近い金を拐帯したとの噂だった。富豪の方はどうしたか知らないが、俺達の方では実に困った。幾度も寄合っては前後策を講じた。笹木が真先に冷淡な諦めを唱え出した。それに反対する者の方が多数だったけれど、松尾の行方が分らない以上は仕方なかった。皆生活に困る連中ばかりで、いつのまにか散りぢりになって、思い思いの職を求めていった。――俺の方では、その事件の最中に、母に病気されて遂に死なれてしまい、ごたごたしてるうちに、年末に近づいてくるし、漸く深田印刷会社に一月の半ばから出ることになったが、生活の方が行きづまってしまったのだった。
笹木が松尾と共謀していたのだとすれば、俺の憤怒は当然笹木に対して燃え立たなければならない筈だのに、ただぶすぶすといぶるだけで、我ながら可笑しな心地だった。で俺は自分に対する皮肉な微笑を浮べながら、池部に尋ねかけていった。
「だが、そりゃただらしい[#「らしい」に傍点]というだけで、まだ確かな証拠が挙ってやしないじゃねえか。」
「挙ってるとも。素寒貧な笹木に降って湧いたように金が出来るというなあ、何より立派な証拠なんだ。内々調べてみるてえと、彼奴に前から金があったしるしも、誰からか金を引出したらしいしるしも、全くねえんだ。」
「じゃあどうしようというんだ?」
「君だったらどうする?」
池部はあべこべに尋ねかけて、俺の方へじりじりと顔を寄せてきた。もうちゃんと肚をきめていて、俺をその中に引張り込もうとしてるな、ということはよく分ったが、どうせ碌なことじゃあるまいと思って、俺はその押してくる力を平然と堪《こら》えてやった。
「警察に訴えたらどう?」と子供達を寝かしつけてきたお久が、聞きかじりの余計な口を出した。
「なあに訴えた所で、彼奴が尻尾《しっぽ》を出すもんですか。」と池部は空嘯いたが、此度は俺の方へ向いて云い出した。「実は四五人で相談をまとめたんだが、君も一つ賛成してくれないか。こうしようというんだ。あの事件の最後の相談をするということにして、笹木を呼び出しておいて、皆で取っちめてやるのさ、もし白《しら》を切るようだったら、何時から何処にどれだけの貯金があった、誰からいくら引出した、というようなことを調べ上げてやるまでのことだ。ごまかせるものじゃねえよ。そこで皆《みんな》して、彼奴が松尾から手に入れた金を捲き上げてやるか、彼奴をひっ叩《ぱた》いてやるか、まあどっちかだね。万一松尾と共謀《ぐる》でなかったとしたら、男らしく謝罪《あやま》ってさ、打揃って彼奴の印刷所へはいって、一つ立派なものに育てあげようじゃねえか。そうなりゃあ、資本を下してくれる者だって見付かるかも知れねえし……。」
そこまでゆくと、俺も面白くなってきた。池部は俺が乗気なのを見て、また五十銭銀貨を取出して、酒の継ぎ足しをお久に頼んだ。そして皆でなお詳しく相談し合った。お久は金を捲き上げることに最も賛成だったし、池部はひっ叩くことに最も気が向いていたし、俺は立派な印刷所を育て上げることに最も望みをかけた。然し三つの解決なら、結局どっちになっても面白そうだった。ただ、こんなことは正月まで持ち越したくないから、三十日
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