く思いもかけないことだった。もっとも母は津田芳子さんのことを知っていた。津田さんは私の友人で、小さな婦人雑誌の編輯をしている。以前、私はちょっとした翻訳物をその雑誌にのせて貰ったことがある。母は言う。
「わたしの若い頃のお友だちに、木村さんという才媛がいましてね、小説、戯曲、詩、歌、なんでも書きましたよ、あまり才気が多すぎたため、何一つ本物にはなりませんでしたが……。やっぱり、何か一つのことに気を入れなければいけないとみえますね。」
その才媛というのが、実は母自身の若い頃の姿だったのかも知れない。母は老いてもなおふっくらとしている頬に、思い出の笑みを浮べている。私も頬笑んだ。
「物を書くことなんか、あたくしにはとても出来ませんわ。翻訳なら、少しやったことがありますけれど……。」
「翻訳でも結構じゃありませんか。やってごらんなさいよ。何事でも、若いうちにしておくことです。」
母は若い頃の夢をまだ見つづけているのであろうか。然し、そういう夢を引き継ぐのは、私には楽しいことだった。私は津田さんを訪問して、翻訳の相談をした。翻訳といっても、私には英語しか出来ないし、津田さんとこの雑誌の性質
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