のの追求に於て、中日両国のエリット達は、堅く結ばれるであろう。暗澹たる不安動揺の世界情勢の中に、それは一つの灯火ともなり得る。大戦後に模索される新たな平和形態は、この二つの精神に貫かれたものであるだろうと、否、それでなければならないと、私は思う。ここに一つの世界主義が生れる。
東洋流の諦念は、吾々の精神生活をも肉体生活をも、つまり吾々の生活を、余りにも無力な貧しいものにした。然しこの諦念は、人間の生き方の自然主義から来たものであり、そしてこの意味の自然主義は、自然をも同化するという積極的なものを本来は持つ。それは西洋流の合理主義或は科学主義と、対立するものではなくて、表裏の関係にある。この裏をも表をも呑みこんで身につけることは、言われるところの人類の危機の時代に於いて、生きる上に力強いことなのだ。
そのような意味に於いて、東洋流の諦念は脱却されなければならない。そしてその上での新たな世界主義の提唱なのだ。これを、吾々の芸術に、思想に、政治理念に、文化一般に盛り込むべきである。自治精神と世界精神とによる世界主義、これに中日両国の人々は同感するであろうか、否か。同感するであろうと私は信ずる。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング