というものをそう易々とは信じない。私がここに描き出したのは、中国の良識と日本の良識との間のことだ。両国の良識の間では、右の空想的な情景も真実として生き上るだろう。果して生き上るとすれば、両者は互に笑って見合せた後、手を差しのべて握手を交わすに違いない。
 この握手の中で、極東という地域が意識される。中国も日本もこの地域の中にある。それは両国の生存の場だ。この地域の安寧が脅かされることは、両国の生存が脅かされることになる。そしてこの地域の安寧のために、即ち両国の生存の平安のために、両国は提携しなければならないのだ。過去にこだわらず、新らしい時代のために提携しなければならない。
 両国の親善提携については、これを望む声が中国に高いと聞く。新らしい日本は固よりそれを希求している。そしてこのことに関する具体的な意見は、識者の間に数々あろう。
 さし当って先ず、中国の天然資材や農産物は日本のために大いに役立ち、日本の技術は中国のために大いに役立つということは、一般の常識である。そして実際に、中国の豊富な資材や農産物が如何ほど日本に輸入されることが出来るか、これは中国の寛大な処置に頼るより外はない。その代り日本では、各種の技術、技師や医師の多数を中国に喜んで供給するであろう。――嬉しい一例を茲に挙ぐれば、中国人呉主恵氏の経営する中華交通学院というのが、名古屋にある。この学校は、学内で一社会を形成するような特殊の組織を持ち、将来中国の鉄道技師として働き得るだけの能力を、多数の日本青年が習得しつつある。
 次に文化的提携交流は、両国の親和に根深い基礎を与えてくれるであろう。既に、両国の過去の文化の交流は、殊に中国文化の日本への流入は、充分なほど成されていること、周知の通りである。然し、真に要望されるのは、直接現在の思想交流である。中国が最も知りたいのは、敗戦後の社会革命途上にある日本のことであろう。日本が何を目指して進んでいるか、何を考え何を求めているか、そのことであろう。また日本が最も知りたいのは、中国の現在の相貌なのである。民国革命後の所謂モダーン・チャイナでさえも、もういくらか過去のものだという感じがする。こんどの大戦を機縁としてまだ始ったばかりのこの新時代に、中国の指導者層は、知識層は、青年男女は、一般大衆は、どんなことを感じ、どんなことを考え、どんなものを求めているか、そ
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