いたものですから……。」私はぞっとしました。「私も……。」と云いかけて、そして何に堪えられなかったのか、よろけるようになって、あの人の肩にすがりつきました。近々と、薄い闇を通して、あの人の、美しい澄みきった眼が見えました。その時、ふいに、懐中電燈の光が消えて、あとに残ったのは、三十男の独身者の、でも少しも男臭くない、かすかな香水の匂いでした。かすかではあるが……夢……にしては余りに強すぎました。私は一方では歯をぎりぎりかみしめながら、そして一方ではうっとりと酔いながら、もう自分で自分の身体を支えきれませんでした……。気が狂ったのでしょうか。それでも、私は前後の処置を狡猾に考え廻して、手落なく事を運びました。女中をねかし、また外に出で、木村さんと夢のようなことを語りあいました……。
 ――「自由に眼がくらんだのだ。」と野口は申します。
 けれども、大切なのは、野口が側にいなくなって、その冷かな憐憫の圧迫がなくなって、そしてなぜ、私が「自由」を感じたかということです。ひとたまりもなく打負けたのは、眼がくらんだのかも知れませんが、然し、なんといろんな沢山のものを、私は求めていたことでしょう。
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