て相手を眺めた。眉目のくっきりとした白皙の秀才型の顔に、どこかのびやかな而も野性的な気味が滞っていた。言葉もはっきりしていた。正枝は暫く黙っていたが、やはりいつもの形式通りに押し通した。
「あの、どなたか、こちらを紹介なすった方がおありですか。」
「人から聞いて来ました。」
「私共では大抵、どなたかの紹介がある方にお願いしていますので……。」
「紹介はありません。学校の紹介ならいつでも貰って来ます。」
「いえ、それには及びませんけれど……。」
そういう応対がなお続いて、不得要領のうちに李は帰っていった。
翌日、李はまたやって来た。学校の学生証と電車の定期券とを正枝に示した。
正枝は一瞥しただけでそれを却けて云った。
「私共は、ほかより少し室代が高くなっていますので、不経済ですよ。」
「それは構いません。」
「それに、御勉強なさるのに自炊ではお困りでしょう。」
「食事は外でも出来ます。」
「外のお食事は、かたよって、身体にいけませんよ。」
「自分でも作られます。時々作っています。」
「それが、学生さんにはなかなかねえ……まあ、よくお考えなすっては如何ですか。」
また不得要領のまま、李は帰っていった。
その翌日、李は更にやって来た。そして一枚の紙を示した。「南京虫其他寄生虫の無之事を証明候也」という珍妙なもので、某アパートの主人の名前に捺印がしてあった。
「僕は嘘を云いました。友人が、南京虫がいると云って排斥するから、証明をしてくれと頼みました。」
正枝は呆気にとられ、次に心を打たれた。半島出身者として特別扱いをしてると相手に思われたことが、心外でもあった。これまでも正枝の応対はみな通例のものであり、現に春日荘の十四五人の居住者中の六人の大学生は、大抵紹介者のある人たちだった。学絞を出た勤め人には自炊もよかろうが、勉強中の学生には自炊は勧むべきでないということに、正枝は特別の理論を持っていた。それらのことがみな、半島出身者という一事にこじつけられたらしいのである。そこで正枝は改めて、自説を繰返し述べて李を納得させ、その上で初めて、空いてる室を見せた。室は二つ空いていた。李は廊下の端の室を選び、正枝の承諾を強奪するようにして、早速その翌々日引越してきた。
前のアパートが気に入らない理由は、彼の云うところに依れば、毎夜遅く家の前で支那ソバ屋が悲しい笛を鳴らすこと、隣室に喧嘩ばかりする夫婦者がいること、独り者の若い女が多くて洗面所が穢いこと、女中たちが彼のことを李さんと云わずに李永さんと半端な云い方をすること、などであった。
彼は自ら云った通り、或は自炊したり或は外で食事をしたりした。交友は僅からしく、起居は静かで、始終読書に耽っていた。時々ひどく酩酊して帰ることがあった。人前をはにかむことなく、正枝や女中たちともすぐに馴れ親しんだ。厚顔と無邪気とを一緒にした率直さというものがあるとすれば、そういう率直の感銘を人に与えた。正枝を「おばさん」と呼んで何でも相談するし、正枝もいろいろ面倒をみてやった。
余寒のきびしい初春の頃、淡く雪がきた日の夜遅く、二時頃、李はひどく酔っ払って帰ってきた。正枝も女中たちも寝ていた。けたたましく鳴り渡る呼鈴に、うとうとしていた正枝はすぐに起き上り、玄関の方へやってゆくうちに、外の者が李であることを感ずいた。
呼鈴のあとで暫くひっそりとなって、今度は戸が激しく叩かれ「おばさん、おばさん」という声まで聞えた。それからまた静まり返った。
正枝は玄関にじっと立っていたが、外の静けさがあまり続き、急に寒気に身震いして、そっと戸を開いてみた。薄曇りのぼーっとした月明りで、露地の中の電灯線を中途で支えた小さな柱に、人影がしがみついてふらりふらり揺れていた。
「誰です、誰ですか。酔っ払って、こんなに遅く……。」
それでも返事はなく、柱にしがみついた人影は、やはりふらりふらり揺れていた。
「酔っ払った人は、一時すぎには家へ入れませんよ。一時までは許してあげます。一時すぎたら、自働電話でことわって、酔いがさめてから、翌朝帰っていらっしゃい。何度も云っておいたでしょう。その通りになさい。酔っ払いは、こんなに遅くは家へ入れませんよ。」
云うだけ云っておいて、正枝は戸を閉めてしまった。がそこに佇んで、外の気配に耳を澄した。
「おばさん、おばさん」と低い声がした。それから急に、わーっと泣きだした。子供が泣くような大声で喚きたてて、それが冗談なのか、本気なのか分らなかった。正枝はじっと耳を傾けていた。やがて、泣き声がぴたりと止んだ。しいんとなった。正枝は腹を立て、そのまま奥の居室に戻った。
そういう場合、もし女中が眼をさましたら、後で戸を開けてやることになっていた。女中のキヨもタカも、その夜眼をさました。正枝が
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