れてる由、千謝万謝にたえないとの礼言だった。それと共に、魔除けになるとかいう奇怪な木彫の面を送ってきた。正枝は狐につまゝれたような気持だった。李には両親がなく、その伯父さんから学費も貰ってるとのことである。
「よい伯父で、僕をほんとに愛してくれます。」と李は云った。
正枝は何だかしっくりしない気持で、野性味のある秀才型の李の顔を、しみじみ眺めた。
そのほかいろいろのことで、へんに正体が掴めないながらも、知らず識らず特別の親しみをもった李永泰が、ふいに姿を消したので、正枝は、二日たち三日たつにつれて、気懸りが深くなっていった。平壌より北方の田舎だという伯父の許まで、まさか知らせるわけにもゆかないし、李の少数の知人の中から、特に親しそうな者も見当らないし、処置に困って、ともかくも李の室を検分してみたが、何の手掛りも得られそうになかった。
そこへ、李のことで意外な訪問者があった。
二
李永泰は平素、江原印刷所に出入していた。これは職工が五六人しかいない小さな印刷所で、他の大きな印刷所の下受けの仕事をやったり、また主に端物《はもの》の仕事をしたりしていて、手刷りの機械などもあり、植字組版などの技術的な方面を習得するのに便利であり、李もそうした技術を学んでいた。李は正枝にもこの印刷所のことを屡々話し、名刺とか[#「名刺とか」は底本では「名剌とか」]ビラとか葉書の類などの印刷の用があったら、自分が手ずから拵えてあげると云っていた。
その江原印刷所の主人が、突然正枝を訪れてきて、李永泰について伺いたいことがあるというのだった。
江原はまだ三十四五の年輩で、商人めいた丁寧な物腰ではあるが、知識人らしい風貌や言葉つきなので、学生や勤め人ばかりを相手にしてる正枝には、大変話しがしやすかった。
「そうすると、李君は四日前から居なくなったというわけですね。」と江原は云って、煙草を吸いながら考えこんだ。
江原はたゞそれだけを確かめに来たものゝようで、此度は逆に、正枝の方から李のことをいろいろ尋ねはじめた。そして話はあちこちに飛んだ。
江原のところでは「パルプ」という同人雑誌を引受けていた。同人はみな三十前の青年で、その中の一人が江原の友人の弟なので、全く好意的な仕事だった。「パルプ」というのは紙になる前の原料で、即ち印刷して売り出される文学や評論の一つ手前
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