と思う。まではまだ抵抗出来るけれど、次の瞬間には、惜しいなと思う。盗めば盗めるのに惜しいなと思う。俺が盗まなくても、どうせ誰かが盗むのだろう――(盗人の心理の面白さよ)――誰かが盗むだろう、むざむざと人に盗ませて……実に惜しいな、と思う。そこまでいくと、もう抵抗出来ない。何か偶然の障碍が起らない限りは、彼はそのダイヤの指輪を盗む。
 そういう話を聞いた時、これは面白いと私は思った。それが頭に残ってたせいかどうか……不思議な夢をみた。
 或る晩、Aという老人がひょっこりやって来た。大黒帽を被って、柄頭に鳩の彫刻のついている杖をついて、白い粗髯をなでる癖のある、普通に云えば剽軽なよく云えば脱俗的な老人である。その老人が、玄関につっ立って、皮肉なような擽ったいような笑顔で、にこにこしている。――(と、これからは夢物語である。)
「どうしたんです。」と私は尋ねた。
「なにね、いま万引をしてきたんだよ。」
「万引。」
「ああ、面白かったよ。だが、一寸危いと思うんだが……。」
 私はあたりを見廻した。誰もいない。玄関が夕方のように妙に薄暗い。気がついてみると、老人は変に憂欝な顔笑をしている。
「じ
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