垣を取り払ってから、市木さんは私の庭へはいって来た。
「ちょっと、お宅の囲いを見せて頂きますよ。」
 そう断っておいてから、市木さんは私の家をぐるりと一廻りして、あちこち検分した。
「お宅の囲いは、どこも壊れてるところはない。これなら大丈夫です。」
 言い捨てて帰っていった。
 私は呆気にとられた。市木さんは私の家の家主でもないのに、板塀やトタン塀などを検分して廻るとは、全く余計なお世話なのだ。もし壊れてるところがあるとすれば、どうしてくれるつもりなのだろう。あの表の塀と同じように、修理してくれるつもりだろうか。
 だが、そうでもなさそうだった。というのは、竹垣を取り払ったあとは、そのままになっていたのである。植木屋にでも頼んで新たに作らせるつもりなのが、その職人の都合で延び延びになってるのかと、私は思ったけれど、そうではなかった。幾日待っても、竹垣は作られなかった。
 そのため、私の方は困った状態に置かれた。市木さんの家と私の家とは素通しになってしまったのである。市木さんの方では、私の方に面してるのは裏口で、そこの木戸はいつも閉め切ってあり、片方は狭い庭の横手で、檜葉や八手の植込みがあり、私の方から覗いても一向差支えない様子だった。だが私の方は、先方が庭の正面になっており、庭のこちらは縁側で、障子を開け放せば、座敷の中まで先方からまる見えになる。しかも、こちらは平家で先方は二階家なのだ。どうにかしなければなるまい、と私は考えた。
 考えてるうちに、ふと思い当ることがあった。板塀とか竹垣とかいうものは、それが無くては都合がわるい方で作るべきなのかも知れない。往来に面してる場合ばかりでなく、家と家との間でもそうなのだろう。そして、市木さんが私の家の囲いを見て廻ったのも、或は、あの竹垣の作成を私の方へ譲るという謎だったのかも知れない。いっそのこと、市木さんに直接話してみるのが、早道だった。
 折を見て私は、八手の茂みをくぐって市木さんの庭へ行き、そこの縁側から声をかけてみた。室内から返事があって、暫く待つと、市木さんが出て来た。硝子戸を開けて、市木さんがそこに座布団を出したから、私は腰を掛けた。縁側には陽が当っていた。
 さて、どういう風に話しだしてよいものか、私はちと弱った。市木さんが変人だということを聞いていたし、額が少し禿げ上ってる大柄な顔立ちと、肩まで垂れさがっ
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