。遺骨二つをわたし自身から切り離すための、その代償ですからな。」
 私はなにか冷いものを身に浴びた気がした。そしてなお市木さんの酒の相手になりながら、前に坐ってるその長髪の老人は、果して、気が少し変なひとか、或はたいへん賢明なひとか、どちらだろうかと疑った。いずれにしても、独自な精神のひとには違いなかった。
 酔ってくると、市木さんは尺八を持ち出してきて、追分節を吹いて聞かせた。いや、私に聞かせるというよりも寧ろ、自分でその音色に聴き入ってるがようだった。

     三

 市木さんの日常は次第に、孤独な静穏なものに立ち戻っていった。買物や其他の用達しに、いつもの姿で飄々乎と出歩き、それ以外はたいてい家に引き籠って、ひっそりとしていた。
 けれども、弘子さんの死去によって、淋しい影が深くなったのも事実だった。何よりもやはり、人手が一つ足りなくなった。飯をたくことから煮物まで炊事一切、また掃除や洗濯など、市木さんは自分でやっていたが、弘子さんがおれば相当な手伝いになっただろうが、それが無くなってしまったのである。それから精神的な打撃も深い筈だった。然し、市木さんはそれらのことをよく持ち耐えて、平然としてるようだった。
 夏になって、学校も休暇になると、男の子の信吾が、庭を掃いたり草を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]ったりする姿も見えた。これも姉さんと同じく、痩せがたのおとなしい子で、顔の表情がひどく少なかった。表へ出て他の子供たちと遊ぶことも殆んどなく、家の中で静かに何かしていた。
 晩になると、時折、読書してるらしい市木さんの高い声が、その二階から聞えることがあった。或る時、ちょっと注意を惹かれるふしがあって、私は例の竹垣を跨ぎ越し、市木さんの庭にはいってゆき、二階の下に佇んだ。市木さんは高い声で読んでいた。
 聞いているうちに、私にもすぐに分った。それは、私が書いた童話だったのである。
 場所はどこでもよいが、まあ西洋のつもりである。その或る所に、むかし、羊飼いの少年がいて、石ころでも何でも金貨にしてしまう不思議な皮袋を手に入れ、それを持って、都を見物に出かけました。幾日かの旅の後、都に着きました。大きな立派な家が立ち並び、人がぞろぞろ通っていました。夕方になると、一面に灯がともり、美しく着飾った人が多くなりました。少年は、腹がすいていましたので、
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