確に取り行われた。
 それが済むと、深閑とした日々が市木さんに続いたようだった。そして十日ばかりたって、例の竹垣を跨いで私が行ってみると、市木さんは座敷の床の間を指し示した。そこの小机の上の、位牌と線香立とのわきに、香奠の包みが二つ置いてあった。故人の女学校の担任の先生からのものと、級友たちからのものだった。
「どうも、多勢には一人ではかないませんな。」
 そう言って市木さんは眼玉をぐるりと動かした。先生や生徒たちと応対してる市木さんのことを想像すると、私はなんだか可笑しかった。市木さんは当初、死亡通知など一切出さないと言っていたが、其後思い直して、学校へは通知し、なお数名の親戚知友へ通知状を出したと、弁解するように打ち明けた。
「つまり、死亡通知を出すことによって、故人をすっかりわたし一人のものにすることが出来ると、分ってきたからです。」
 その論理は私にはよく呑みこめなかったが、市木さんが故人のことを深く思いつめてることは、はっきり感ぜられた。
 市木さんは故人の写真をどこにも飾らなかったが、その面影は私の頭にも残っていた。背は高い方で、痩せていて、学校から帰るとたいてい和服に着換えていた。あちこち継のあたってる銘仙の着物で、早く亡くなった母親の遺物なのであろうか、黒っぽいじみな柄であって、それに枇杷色の兵児帯をしめていた。髪は子供っぽく編んで背中に垂らしていた。少し出額の細面の顔立だったが、それがいつも没表情で、なんだか能面みたいに見えた。泣くことも笑うこともなさそうだった。しかも、表情のない能面みたいなその顔が、へんになまなましく、時によっては、はっとさせられるような感銘を与えた。
 そういう面影を、市木さんはどういう風に受け取っていたのであろうか。死亡通知を出すことによって故人をすっかり自分のものにするとは、どういう意味だったろう。
 ところで、その死亡通知のために、私は妙な場面に立ち会わされたのである。
 或る日の午後、市木さんは竹垣を跨いでやって来て、珍らしいことには私へ声をかけた。出ていってみると、市木さんは縁側近くに突っ立っていた。
「ちょっと来て下さい。そして酒を一杯つき合って下さい。どうも面白くない奴が来ましてね、酒がまずくなった。」
 市木さんは昼間から独酌してることも稀ではなかったが、私がその席へ招かれたのは初めてだった。ところが、行ってみ
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