り、垣根を跨ぎ越して行ってみた。庭から声をかけると、硝子戸の中の縁側に市木さんは突っ立っていた。真赤な顔をして、唇をかみしめていた。私の方を睥むようにじろりと見て、硝子戸を開け、足元を指し示した。そこに、猫が横たわっていた。だらりと伸びて、もう息絶えてるらしかった。
「こいつ、成敗してやりましたよ。」
 そして市木さんは猫の死体を睥みつけた。
 私はなんだかぞっとした。
 市木さんは猫を二匹飼っていた。まだ親猫にはなりきっていないが、だいぶ大きくなっていた。二匹とも三毛、といっても、白地に赤毛と黒毛が丸い玉をなしてる立派な三毛ではなく、だいたいは白地だが、それに赤毛と黒毛がいい加減に生え別れてる普通のものだった。娘さんがほしがって貰って来たものだとか、私は聞いていた。市木さんの足元に今のびてる猫は、私にも見覚えのあるその一匹だった。
 市木さんの説明によると、その猫は、いつの頃からか野良猫のような性質に変った。二日も三日もいなくなったかと思うと、こそこそと家にはいって来て、飯を食いちらして、また出て行った。それだけならよいが、あちこちに尿をひっかけて、駆けだして逃げて行った。市木さんの姿を見ると、すぐに逃げだした。炬燵にも寄りつかず、寒空のもとにどこをうろついてるのか分らなかった。一番いけないのは、家にはいって来て、人の気配をそっと窺ってることだった。襖の陰とか、柱の陰とか、廊下の曲り角などに、じっと蹲まり、顔だけ出して、こっちの様子を窺いすましていた。まるでスパイ根性だった。
 一匹の猫は温良な性質だったが、一匹の方だけ、どうしてそうなったのか。市木さんはほんとに腹を立てた。折檻してやろうと思ったが、なかなか捕まらなかった。ようやく縁側の隅で捕まえると、手を引っ掻き噛みついて暴れた。それを市木さんは板の間に叩きつけてやった。力がはいりすぎて、猫はぐったりとなった。そうなるともう騎虎の勢いで、市木さんはなお何度も猫を叩きつけ、打ち殺してしまったのである。
 市木さんの話は冷淡な調子だったが、底に熱いものが籠っていた。
「ひとの様子を、じっと覗き窺うなど、以ての外の根性です。成敗されても仕方ないことでしょう。」
 前に、竹垣のことについて、見るのがいけない、眼を向けるのがいけない、と市木さんが言ったのを、私はふと思い出したのだった。そして猫のことも、やや合点がいった。
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