い。そういう大なる責任感のない所には、本当の努力は生じない。本当の努力のない所には、力や光は生じない。
 生活の方向を決定するのに、自分の意志が加わっておればおるほど、その度合に正比例して、生活は本当の意味で自分のものとなり、力強い輝かしいものとなる。
 余儀なく駆けさせられる馬車馬で、吾々はありたくない。自分の意志によって山野を駆け廻る奔馬で、吾々はありたい。
 余儀なくさせられる生活は惨めなものである。自分で欲してする生活は、崇高なものである。余儀なくということを出来る限り少くし、欲するからということを出来る限り多くした生活、それが最もよい生活である。なぜなら、それは最も多く自分[#「自分」に傍点]の生活だからである。
 本当の責任や努力や力や光などは凡て、自分のもの[#「自分のもの」に傍点]だという意識から生れてくる。自分が欲して選んだのだという意識から生れてくる。俺の知ったことか! という無関心な絶望の言葉は、強いられ余儀なくされた意識からしか生じない。
 自分の生活に向って、俺の知ったことか! という言葉を投げる者は、既にもう救われざる破滅に陥っているのである。本当に生きる者
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