しても、はっきりした好悪を持っていた。或物は決して手にしなかった。また或物を持ち初めると、それに執着して決して長い間手から離さなかった。――夜なんかどうかするとふと泣き出すことがあった。そういう時は、いくら乳を与えても、抱いてやっても、泣き止まなかった。その意味が私達にも後には分って来た。そういう時は、昼間持ち続けていたものが何か必ずあるのであった。それを取ってやると、すぐに泣き止んで、手に握ったまますやすやと眠った。――知らない人に対しては決して笑わなかった。他家《よそ》の人があやすとくるりと外を向いてしまった。――いつも妙に黙り込んでいた。私は演芸画報をよく買って来てやった。それを何度も何度も小さい手で披いて見ていた。――最近二三ヶ月の間は、私達の云うことが何でもよく分るらしかった。私が精神上のことで妻に厳しい言葉をかけていると、よく泣き出した。私達が楽しく話していると喜んでいた。
 然し殆んど病気し続けであったから、身体は全く発育が遅れていた。よくもつものだと私達は思った。それに高熱にも頭が少しも侵されないらしかった。白眼が青く澄んでいた。もう一年十ヶ月になるのに、発育の悪いため言葉は出せなかったが、おしっこ[#「おしっこ」に傍点]はその度毎に大抵教えた。何かいつもよく口を利いているらしかった。それからどうしてだか知らないが、按摩の笛を大変恐がった。きゃっきゃ云って遊んでいる時でも、按摩の笛が聞えると、すぐに母親の懐に顔を伏せてしまった。
 然しそういう堯自身は今何処へ行ったのか。……私はじっと堯の顔を覗き込んだ。安らかな顔をして寝ていた。眼には硼酸水に浸したガーゼが当ててあった。角膜に少し故障があるのであった。私はそのガーゼを取ってやった。堯はぼんやり眼を開いた。何か嬉しそうに口元を動かした。すぐに食塩水をやると、それを飲み込んだ。
 私はそっと立って行って、氷嚢の氷を取り換えたり、人乳十瓦はいったコップを持って来たりした。洗面所の横に小さな箱があって、八号という札がついていた。その中に堯の病室用の氷や人乳や薬がはいっていた。あたりの空気が冷たかった。
 私が三時に与えた人乳十瓦を、堯はよく飲んでくれた。私は嬉しかった。
 じっと坐っていると、私はふと、どうしていいか分らない気持ちに襲われた。私の全身は或る大きい力で堯の方へ引き寄せられた。堯を自分の腕に胸に
前へ 次へ
全20ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング