の声が響いた。二人はがばと立ち上って光子の病床にかけつけた。
光子は床の上に仰向に倒れていた。歯をくいしばり、眼は上眼瞼《うわまぶた》のうちに引きつけて白眼ばかりが覗いていた。そしてしきりに両手で胸の所を掻きむしるようにしていたが、その手は胸に届いていなかった。胸の中で、ぐぐぐぐと物の鳴る音がした。その息をつめた瞬間が、執拗な生命が自分の上に押しかぶさった物をはねのけようとしている時間が、どれだけ続いたか誰も知らなかった。そして終りに何かぐるっという響きが胸の中に転ると、かっと真紅な血潮が彼女の口から迸り出た。そしてその血潮の中に彼女はぐたりと手を伸した。はーっと長く引いた軽い呼気が彼女の血にまみれた口から出た。
呼び迎えられた医者は首を傾けた。そして「病院に入れなければ。」と云った。然しそれは如何にしても事情が許さなかった。そして兎も角も[#「兎も角も」は底本では「免も角も」]そのままにして看護婦だけがつけられた。小母《おば》さんは壮助と羽島さんとのそういう相談を外にして、光子の枕頭でしきりに涙を流していた。
その時の問題が今再び壮助に返って来た。
「病院に入れなければ……。」
それで果して効があるか否かは問われなかった。ただそうすることが、ただそうすることのうちにのみ、せめてもの望みがかけられた。壮助は唇をかみしめ乍ら、室の隅をじっと睥《にら》んだ。其処には高利貸の古谷の顔が浮んでいた。幾度も執拗にやって来ては僅かの彼の俸給をさえ押えると云って脅かすそのでぶでぶと脂ぎった顔が。
「まだそんな所に居られたのですか。」
そう云う羽島さんの声に壮助は喫驚した。そして顔を挙げると、羽島さんは急に眼を外《そ》らした。そして云った。
「飛んだことを申したようです。御心配なさらなくていいです。ほんとに、私が余り気を廻しすぎたんでしょう。いいです、いいですよ。」
羽島さんは何やら一人《ひとり》で首肯《うなず》いていた。
壮助は立って来て、羽島さんの入れた茶を黙って飲んだ。羽島さんは茶をうまく入れることに多大の自信を有していた。
二
その夕方医者が診察にやって来た時、壮助は診察の終るのを待って一足先に表に出た。きっぱりした返答を得なければならないと彼は思った。
羽島さんの云うが如く腹部に大きい疾患が生じたのなら、その方の専門の医者に診《み》せる方が
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