も知れない。……然し一体肺結核という病気は癒るものだろうかね。」
「なに癒らないことがあるものか。いくらでもその例がある。然しあの病気の恢復するか否かは恐らく運命だろうね。医学の方でも種々な新薬が出たが、要するにケレオソートかゴヤコール剤にすぎないと云うじゃないか。ツベルクリンの注射だって人の体質に依ると云うじゃないか。あの病気の本当の恢復原因はいつも、日光と空気と滋養物との自然要素に止まるんだ。」
「また例の論法だね。」
「そしてそれが事実なんだ。……然し用心しないと伝染するよ。」
「伝染したっていいさ。」
 川部は一寸壮助の方を顧みた。
「そうか、その決心なら大丈夫だ。そして大いに彼女を愛するがいいんだ。いや愛しなけりゃいけない。もしそれが君の心の必然のそして後悔のない向き方なら、それを生かすことが君自身を生かす道なんだから。」
 壮助は何とも答えなかった。
「一体吾々日本人の生活には実感が欠けていていけないんだ。実感に生きることは猶更欠けているんだ。いつも作り物の衣の中に自分を囚《とら》えている。そしてその衣にばかり執着している。中は空《から》だ。どうすることも出来ない穴があいているんだ。その穴を填す道は只裸になるより外の方法はない。裸になればいやでも自分のうちのことが眼について来る、そして其処に眠っている実感が自由な呼吸をするんだ。」
「君の云うことは分っているが、妙な云い方だね。」
「何が妙なもんか。……例えば、直接のいい比喩《ひゆ》が在る。太古の半裸体時代の人間を考えてみ給え。記録が教える所に依れば、また吾々が想像し得る所に依れば、彼等の身体には力が満ち充ちていた。それが、次第に着物をつけ、着物を重ぬるに従って、人間の身体から力が、輝いた力がぬけて来たんだ。そして失った力の跡に大きい空虚《くうきょ》が残されたんだ。空虚や微力はいつも悪徳なんだ。吾々の精神に就いてもそれと全く同一じゃないか。」
「それじゃ裸体《らたい》に帰るんだね。」
「そうさ。然しまさか裸体で歩けもしないが、兎に角心の衣を捨てることは最も大切なんだ。其処には身体の裸体に於ける如き官憲の干渉はない。そして其処から本当の愛や仕事が生れて来るんだ。」
 或る玩具屋《おもちゃや》の飾窓の片隅に、小さな羽子板が沢山並べられていた。川部はふとそれに眼を止めた。
「おい一寸。」
 壮助も彼に続いてその
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