創作ではないけれども、小穴隆一氏の「二つの絵」に見出さるる。筆者は単に事実の報告のみでなしに、芥川の性格を浮出させようと意図したらしい。ところが、濃霧のなかに無数の光をともしたようなその文章は面白いけれど、初めの意図は失敗に終ってるようである。いろいろな事実の棒杭が打立てられ、その棒杭の一つ一つに灯火がともされ、そして濃い霧が一面にかけている。その濃霧と灯火とのかもし出す幽暗な雰囲気に誘われて、中にふみこんでみると、至るところで、硬直な棒杭に躓く。そして晩年の芥川の風貌は、捉うるに由もない。事実の棒杭が余りに真直に打立てられず、或る程度の傾斜と弾力性とをもっていたならば、芥川の全貌はもっとはっきりしたであろう。
如何に写実的な画面にしろ、物の実相を描出するためには、その形態に多少の歪曲が余儀なくされることを、故岸田劉生氏の絵画に於て吾々は見てきた。ロダンの彫刻に就ては茲に云うまでもない。その歪曲は、作者の批判から来る。文学に於ても、人物の性格風貌を描き出さんがためには、その人物に関する事実に一種の歪曲が余儀なくされる。その歪曲は、作者の批判からくる。実際吾々は、同様な事件や行為を話す
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