残っているのは、人物性格のそれである。人物性格が現われていない作品を、吾々は最も多く忘れ去る。
ドン・キホーテやハムレットのような典型は別としても、少しく文学に親しむ者の間では、日常、彼はオブローモフのような男だとか、サアニンのような奴だとか、ゴリオみたいな親爺だとか、或は、彼女はカチューシャのような女だとか、ノラみたいな婦人だとか、そういった言葉が聞かれる。けれども、文学の中に描かれてる場面や情景や事件をもってきて、何々のような場面とか情景とか事件とかという言葉は、殆んど耳にすることがない。描かれてる場面や事件や情景は、ただ、その人物に依存するのみである。
文学のなかに描かれてるこうした人物性格は、旅行の記憶のなかに存在する自然の景色と同様に、面貌の取捨選択からひいては抽出強調をくぐって、簡明化されると共に加重されて、何かしらプラスの人物性格を形成している。これが歪曲されず、作者の傀儡とならず、生きた生命を保ってるところが、不思議と云えば不思議でなくもない。
この不思議をなしとげるものが、芸術的批判である、と私は云いたい。それは理知的な批評や解剖ではない。個別的にレッテルをはり
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