明瞭な記憶は、旅行中当面の関心事たるその人事にはなくて、看過しがちだったその自然の景色にある。――このことからして私は、凡て追憶的旅行記に対して、人物の記述よりも自然の記述により信用する。人物の記述は半ば創作であることが多い。
 旅行中に得らるるこうした自然の印象は、時がたつにつれて、一種の抽象作用を受けて、益々簡明になってくるようである。それは一の景色以上の景色であり、一の眺望以上の眺望である。現実に何かが加わった――或は差引かれたもので、そして結局はプラスの景色や眺望である。
 文学上の読書は、一種の精神的旅行である。ところがこの旅に於ては、記憶のなかに刻みこまるる印象は、何よりも人物のそれが最も深い。殊にすぐれた文学書であればあるほど、益々そうである。勿論、文学のなかには、自然描写が少いし、益々少くなりつつある。然し自然描写を別としても、或る情緒や、或る情景や、或る事件の発展などが、読書の最中に吾々の心を惹きつけて、人物には大して関心をもつ余裕を与えないことがある。そういう場合にも、後になって記憶のなかの感銘を探る時には、それらの情緒や情景や事件は、いつしか薄らいでいて、最も強く
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