ていた。
「それでは、容易に上海を捨て難いでしょう。」
「いつでも捨てます。然し私は、秦さんについて田舎へ行きますが、時々こちらへも出て来ます。連絡係りです。」
「それにしても、上海と田舎と、どちらに住みたいと思いますか。」
「それは思想によって決定されることです。」
「いや、思想を離れて、単に気持の上で、この濁流……腐りかけた牛肉の味と、さっぱりした野菜の味と、どちらによけい魅力を感じますか。」
「そのようなことは、単なる感傷です。」
ここで、秦は通訳をやめて、私に言った。
「陳君には感傷が大敵なんだ。丹永のもとに帰ってやれと僕に言うのも、感傷とは違った意味だ。常に感傷を目の敵にしている。感傷の多い筈の若者が、こういう信条で育っていって、末はどうなるか、ちょっと僕は恐ろしい気もする。陳君と話していると、思想は別として、理想とか信念とかいうものも、感傷と紙一重の差であることに気がついて、冷りとする時がある。然し僕はやはり、感傷をも郤けないで、理想や信念と共に、心の糧としてゆきたいのだ。陳君にもこれから感傷を少し吹きこんでやるつもりだ。」
私はうなずいて答えた。
「その通り陳君に言っ
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