椅子類、窓際に碁盤……。私は松崎とよく碁を打った。彼の棋力は私とほぼ同程度だか[#「同程度だか」はママ]、棋風は捉えどころがなく、こちらが強く出れば力戦を辞しないし、ふうわりと押せばさらりと受ける。秦啓源も時折やって来て、私達の碁を楽しげに眺めた。盤に向うのは、その他の日華人少数だった。
 事務所の様子も風変りだし、碁盤があるのも、上海では異数だが、内実も、ここでは特別な取引が行なわれていたのである。数十万の現金、時には数百万の現金が、鞄につめこまれてここを通過した。逞ましい二三の事務員の手につながってる数多の糸が、あちこちの地下へもぐっていた。旧仏租界の街頭をうろついてる白系ロシア人のブローカーにまで、その一筋は伸ばされていた。それらのことは、至って複雑にも見えるがまた至って簡単だとも言える。然しそれはこの物語とは別な事柄である。
 ただ、茲に述べておかなければならないのは、秦啓源が斯かる取引に関係があったことだ。彼の仲間……というより寧ろ彼の部下たちによって、それも主として彼の資金と張浩の慧眼とによって、多くの金属が掘り出された。金や銅は言うまでもなく、モリブデンもあれば、イリヂウ
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