書かなくちゃならないものが一つあるんだけれど、どうもうまくまとまらなくて困ってる。」と小説家は云い出しました。
「ほう。」と批評家は眼を光らしました。
 そして専門は専門だけに、小説家がその考えてる小説の話をし、批評家がそれを聞いてやることとなりました。
 ところで、その小説というのは、小説家が或る青年からじかに聞いた話でした。そして小説家の頭の中で、三つの要点に別たれていました。――一、彼は蒼ざめていた。二、彼は窓際に坐っていた。三、彼は彼女に接吻した。――三から先がまだあるのですが、そこが小説家にはどうもまとまりかねたのです。
「では始めから順々に話してみ給いよ。」と批評家は云いました。
「うむ聞いてくれよ。」
 そこで小説家は、「彼は蒼ざめていた」を話し初めました。

 和田弁太郎は次第に蒼ざめていった。顔色ばかりではなく全体が蒼ざめていった。昼間もそうであるが、殊に夜はひどかった。
 板と硝子とで密閉されてる室の中に、六人の青年が眠るのである――規定では夜十時から午前六時まで。
 春の夜の屋内の空気は、それ自身既になま温い。昼間吸いこまれた日光の余温と、垢や脂にむれてる布団のい
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